いのりながら・・・
2007年 01月 08日
自分自身のために祈る女性のための
30の祈り
昨年末から少しずつ読んでいた本があります。
色々考えさせられたり、ヒントを与えられたりした味わい深い本。
実家では病院以外はほとんどどこへも出かけず、おとなしく
過ごすしかありませんでしたが(ノ_・。)、そのおかげで静かに
過ごすことができました。幸い、しつこい咳の原因は風邪ではなく
アレルギーであることもわかり、合うお薬を処方していただいたことで
症状がよくなり、元気になって横浜にもどってきました。ε-(´▽`) ホッ
昨年末から考えていたんです。
三浦綾子さんは「氷点」という本を、聖書をベースにして罪や赦しについて
書き下ろしましたが、東野圭吾さんは、ベストセラー「手紙」を通して、
素手で、罪や赦しという重いテーマににとりくんだんだなあ・・・と。
どちらも新聞に連載された小説で多くの読者の心をとらえました。
テーマも近く、クリスチャンである三浦綾子さんとそうでない東野圭吾さんは、
ラストで同じことを書いているように思えてなりませんでした。
それは「赦す」ということ。
ストーミー・オマーティアンが書いたこの本の中にも、心動かされる
一文がありました。
~心配しないでください。私たちがだれかを赦すときに、それでその人たちが
正しいとされたり、彼らのしたことが正当化されるのではありませんから。
私たちは赦すことで、彼らを神の御手にゆだね、神ご自身が彼らを
取り扱ってくださることができるようにしているのです。赦すことは、実は
最高の復讐なのです。なぜなら、そうすることで私たちは、赦す相手から
自由になれるだけではなく、神が用意してくださっているすべての祝福の
中で生きていけるように解放されるからです。だれかを赦すということは
相手が罪を認めることや謝罪することに基づくものではありません。もしも
そうなのであれば、私たちのほとんどが、決して赦すことなどできないでしょう。
ほかの人がどうしようと、私たちは赦すことができるのです。~
私は知っています。この著者が母親の虐待を受けて育ち、母の虐待から
守ってくれなかった父親にも怒りをもっていたことを・・・
彼女は、彼らを赦し、彼らの影響から自由になり、今、幸せに生活し、
多くの人に彼女の経験した痛みを通して希望を与えています。
だから彼女の言葉には説得力があります・・・
悲しいニュースが続いています。
ネガティブな経験をしたときに、またそのただ中にいるときに、
現実逃避せずにその現実と直面し、正直な自分の気もちを認めながら、
気づきながら、ひとつひとつ乗り越えていくことは容易ではないし、
辛く苦しい作業だと思うけれど、人が成長していくために
避けて通ることのできない大切な通過点なのだと感じます。
自殺していく子供たちや、家庭の中で家族を殺めてしまう
人たちを特別な人だとは思いません。
人間のネガティブな感情をどう取り扱うかで、結果はまったく
違うものになっただろうと思うから・・・
怒りや憎悪に心を占拠されたまま、長期間放置することは
何も良いものを生み出さないばかりか、自分も周りの人も
傷つけてしまうのだと感じました。
~わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
新約聖書 マタイによる福音書6章12節~
2006年は祈りながら終わり、
2007年は祈りながらあけました。
今年がどんな年になるのか、今とっても楽しみなんです!
30の祈り
昨年末から少しずつ読んでいた本があります。
色々考えさせられたり、ヒントを与えられたりした味わい深い本。
実家では病院以外はほとんどどこへも出かけず、おとなしく
過ごすしかありませんでしたが(ノ_・。)、そのおかげで静かに
過ごすことができました。幸い、しつこい咳の原因は風邪ではなく
アレルギーであることもわかり、合うお薬を処方していただいたことで
症状がよくなり、元気になって横浜にもどってきました。ε-(´▽`) ホッ
昨年末から考えていたんです。
三浦綾子さんは「氷点」という本を、聖書をベースにして罪や赦しについて
書き下ろしましたが、東野圭吾さんは、ベストセラー「手紙」を通して、
素手で、罪や赦しという重いテーマににとりくんだんだなあ・・・と。
どちらも新聞に連載された小説で多くの読者の心をとらえました。
テーマも近く、クリスチャンである三浦綾子さんとそうでない東野圭吾さんは、
ラストで同じことを書いているように思えてなりませんでした。
それは「赦す」ということ。
ストーミー・オマーティアンが書いたこの本の中にも、心動かされる
一文がありました。
~心配しないでください。私たちがだれかを赦すときに、それでその人たちが
正しいとされたり、彼らのしたことが正当化されるのではありませんから。
私たちは赦すことで、彼らを神の御手にゆだね、神ご自身が彼らを
取り扱ってくださることができるようにしているのです。赦すことは、実は
最高の復讐なのです。なぜなら、そうすることで私たちは、赦す相手から
自由になれるだけではなく、神が用意してくださっているすべての祝福の
中で生きていけるように解放されるからです。だれかを赦すということは
相手が罪を認めることや謝罪することに基づくものではありません。もしも
そうなのであれば、私たちのほとんどが、決して赦すことなどできないでしょう。
ほかの人がどうしようと、私たちは赦すことができるのです。~
私は知っています。この著者が母親の虐待を受けて育ち、母の虐待から
守ってくれなかった父親にも怒りをもっていたことを・・・
彼女は、彼らを赦し、彼らの影響から自由になり、今、幸せに生活し、
多くの人に彼女の経験した痛みを通して希望を与えています。
だから彼女の言葉には説得力があります・・・
悲しいニュースが続いています。
ネガティブな経験をしたときに、またそのただ中にいるときに、
現実逃避せずにその現実と直面し、正直な自分の気もちを認めながら、
気づきながら、ひとつひとつ乗り越えていくことは容易ではないし、
辛く苦しい作業だと思うけれど、人が成長していくために
避けて通ることのできない大切な通過点なのだと感じます。
自殺していく子供たちや、家庭の中で家族を殺めてしまう
人たちを特別な人だとは思いません。
人間のネガティブな感情をどう取り扱うかで、結果はまったく
違うものになっただろうと思うから・・・
怒りや憎悪に心を占拠されたまま、長期間放置することは
何も良いものを生み出さないばかりか、自分も周りの人も
傷つけてしまうのだと感じました。
~わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
新約聖書 マタイによる福音書6章12節~
2006年は祈りながら終わり、
2007年は祈りながらあけました。
今年がどんな年になるのか、今とっても楽しみなんです!
by claraY
| 2007-01-08 07:04
| Jesus