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ブラザーサン・シスタームーン

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今日は午前中研修なので、朝がゆっくり。
だから、昨日の夜、ビデオで「ブラザーサン・シスタームーン」を観ました。
Rが生まれたときに友人(先週の土曜日に一緒にお見舞いに行った人)
からいただいたもの。

ASSISから帰ってきたばかりだったので、すべてが新鮮でした。
心が洗われるようです。



戦争に行って病気になり、故郷に帰ってくるフランチェスコ(1182~1226)。
病の中で過去の自分をふりかえり、生き方を模索しはじめます。

裕福な商人の息子として育ちますが、家では多くの奴隷を最低の
労働環境の中で働かせている現実や、戦争で儲けている父のあり方に
疑問や嫌悪を抱くようになっていきます。無理やりつれていかれた
教会で、同じ御聖堂の中で当時の社会的な階級によって別れて
ミサをまもっている形式的な礼拝に、大きな声で「NO!」と言えたとき、
心に平安がもどってきたのが感じられました。
神様を愛しているがゆえに「NO!」なのだと・・・

「宝は地上ではなく天に積むものだ。そこにこそ幸せがあるのだ」と
気がついたフランチェスコは戦争で儲けた父の富を貧しい人たちに
無償で与えて、父に殴られ訴えらます。司教の下に連れていかれた
フランチェスコは、すべてを両親に返して、「もうあなたを父とは呼ばない」
と伝え、何も身にまとわず、一人で歩き始めます。その顔には、
平安と心からの笑顔がありました。このときから、彼の父は
「天にましますわれらの父」になったのです。

雪の中、裸足でサン・ダミアーノの教会の再建のために1人働く
フランチェスコを尋ねてきた友人が1人、また、1人と彼と一緒に
働くようになります。最初の兄弟となったベルナルドが戦争で手柄を
たて、名声を得たのにも関わらず、心のむなしさを訴えたとき、
教会再建のための石を見つめながら、「君も生きた石になれ。そして、
心の中に祭壇を築くのだ」とつぶやく新しいフランチェスコがいました。

教会の再建のために必要な石とは、実は神様に出会って変えられた
1人1人の人間のことだったのではないかと思わされた言葉でした。

貧しさの極み。与えられたパンを兄弟のために裂きながら、
わたしたちは、与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠の命をいただくのですから。
と歌う箇所は、ミサや礼拝の意味が深く伝わってくる箇所だと思います。

冷たく静まり返った町の教会とは対照的に、
再建した教会に集まった多くの人たち。みんな貧しいけれど
こぼれる笑顔と笑い声がありました。

それをよく思わない人たちの暴力。友人の裏切り。嫉妬。
「なぜ、なぜ、人は人をこんなに憎むのか?」
悩むフランチェスコは、教皇のところに旅立ちます。

魚が死んだような目をして豪華な教会の中に座って謁見をしていた
教皇は、最後には、「あなたの貧しさに、私は恥じる」と言って、
フランチェスコの足に口づけをしますが、たちまち、おとりまきに
囲まれて、教皇とフランチェスコは引き離されてしまいます。

名声や権力や富にとらわれている人と、そうでない人の世界は
かくも遠く、離れているのだということが伝わってくるラストです。

教皇の認可を得て、小さな兄弟会が生まれたところで映画は終わって
いますが、実はこのあと、43歳で亡くなるまでフランチェスコの
人生は試練と苦しみが続きます。最後の最後の最後まで・・・

空を飛ぶ鳥のように自由に生きていきたいと願う彼の願いを
本当に理解できる人は多くはなかったのです。クララはその1人でした。

その苦しみの中で、彼の祈りは彼の生き方になり、今も愛されています。

心が洗われます。
今日はずっと心の中でこの映画のことを考えていました。
by claraY | 2007-08-23 07:48 | 映画

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