フラ・アンジェリコの「聖告」
2005年 10月 04日
そこで、マリアが言った、
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおりこの身になりますように。」
新約聖書 ルカによる福音書1章38節
友人と一緒にイタリアを旅した時に、この絵に出会い、
複写をもちかえった。
天使ガブリエルがナザレの一処女のもとを訪れ、
聖霊によってイエス・キリストを身ごもることを伝える箇所が題材。
この絵の中で天使ガブリエルとマリアは見つめあっていない。
天使はマリアを見つめている。
マリアの視線は違う方向を見ている。
実際にマリアは、天使の訪れを、神様の声を、どのように知ったのだろう?
重なり合っていない2人の視線は、マリアが、
彼女にだけわかる形で、天使の訪れ、聖霊による
イエス・キリストの受胎を知ったのではないだろうかと想像させられた。
あくまで私の想像だけど・・・。
聖書の言葉を黙想する。
じっと耳を澄ませて静かに聖告に聞き入っているマリア。
自分の想像を超えたその内容を、神様に全面的に信頼することに
よって積極的に受容し、人生の全てを賭けようとしているマリア。
私も神様の声を聞きたい。
お洗濯しながら、お皿を洗いながら、車を運転しながら、
電話で話したり、愛したり、悩んだりしながら・・・
神様の声を聞きたい。
今、私が生きているこの場所で・・・
by claraY
| 2005-10-04 07:36
| Jesus